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僕の公務員試験全記録

以前受けた公務員試験の受験記録を掲載しています。 参考になれば幸いです。

カテゴリー「1.公務員試験受験生活全記録」の記事一覧

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1-1.会社退職まで(11月~12月)

 11月の初旬に退職を決意。この時期は何度も実家に帰り両親ともよく話し合った。また、会う機会をもてた友人には会って退職しようと考えていることを報告させてもらったりしていた。

 いざ、直属の上司に退職を切り出し、そこから約3週間に及ぶ上司の方々との話し合いが始まった。上司は皆さん引き止めてくださったし、何より同期に恵まれていたため、長い話し合いの期間中に何度も「こんなに意地を張って辞める必要があるのだろうか」と思ったことも一度や二度ではなかった。ただ、どうしても「これ以上は無理だ」という気持ちが勝った。12月末に退職。早すぎるゴール(コースアウト?)であるとともに、自身最大のピンチの始まりでもあった。

 ちなみにこの時の状況を公務員試験的に言うと、短い準備期間(一番最初の東京都庁の試験まで4ヶ月あるかないか)+短期職歴保持者(約9ヶ月)+法・経済学部以外卒(文学部卒)+独学 (予備校に通う気ナシ&通えるようなところに予備校ナシ)といういわゆる「四重苦」を抱えてのスタートであった。年末に生まれて初めて「今年はあんまりいい年じゃなかったかもしれないな」と思ったことを覚えている。

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1-2.退職後~受験直前期(1月~5月初め)

●1月
1月末に京都の部屋を引き払う予定にしたので1月いっぱいは京都で一人暮らしをしていた。せっかく家賃を払っているのでもったいない、という気持ちと、まだ実家でじっとしていたくなかったのもあって年明け早々には京都の家に出てきていた。勉強をスタートさせたのは1月5日。この時点で(まだ志望先すらはっきりしていなかったが)現実的に最も早い東京都の試験まではあと121日であった。
会社が始まった頃からは自分が会社に行ってないのが不思議な気持ちで毎日を過ごす。まだ自分が会社を辞めた実感を持てずにいた。

この時期から始めたのは、数的処理&判断推理という「苦手な人は毎日やらなきゃ」系の科目と、時間がかかる法律系科目(憲法・民法・行政法)と経済系科目の基礎。始めたばかりでもあり勉強法もまだ試行錯誤中で相当に効率の悪い過ごし方をしていたように思う。例えば、ある程度机に向かっていると無性に外に出たくなり、午後からは喫茶店でやっていることが多かった。しかし、結局能率は上がらず、本屋でぶらぶらしていたりして時間だけ浪費していたようなことが多かった。
勉強時間は毎日とにかく8時間以上を目安にやっていて、勉強時間をストップウォッチで計り、ブログにアップしていた。人に見てもらうことによってそれなりの強制力を作り出そうとしたわけである。この試みはとりあえず成功し、1日8時間勉強するということには慣れることができたと思う。しかし、この時期、自分ではそれなりに時間をこなして勉強していたような気分でいたが、一方で動きに制約のない一人暮らしは自由が利きすぎると感じていた。公務員試験に集中するには、家事や食事などを自分でやらざるを得ない一人暮らしでは限界があった。なかなか伸びていかない勉強時間がそのことをはっきり物語っていた。
1月21日に京都TACで模試を初受験。まだしょうがないとはいえ、あまりの出来なさに危機感を強めた。

●2月
 1月末~2月頭にかけては引っ越し作業や手続きなどに翻弄され思うように勉強できなかった。それらが落ち着いてからはようやく自宅で勉強を開始することができたが、そのうち「家で一人で」の勉強がキツくなり、下旬からはLECの自習室へ通うようになった。自習室は新しい環境であり、人の目もあるので勉強ははかどっていたのだが、この時期は両親の仕事帰りに合わせて日帰りで自習室に通っていたためにどう頑張っても9時~17時くらいまでしか勉強できなかった。また、LECに出るには往復2000円の電車賃が必要であり、何かもっと効率的な勉強の進め方はないかどうかを日々考えていた時期であった。
そんな中、2月10日の東京都職員採用セミナーにはるばる参加。単純に他の受験生予備軍(みんな年下&学生に見える)の中に混じってみて大いに刺激を受ける(勝手に闘争心を燃やす)。基調講演を聴いてそれまで受けるかどうかもあやふやだった都庁への志望が強まった。

●3月
 2月終わりあたりから、勉強するために週の大半を県庁所在地にある妹宅で寝泊りさせてもらうようになる。この頃の生活スケジュールは…

6時ごろ起床

7時前に妹宅を出発

駅前のマックにて100円コーヒー片手に新聞読む&勉強(前日の復習の一部)

9時過ぎまでマックで粘り、その後LEC自習室へ

朝9:15に自習室がオープン。勉強開始。

昼時は混んでいるので昼食は13:00過ぎてから30分以内で。

21:00すぎに自習室が閉室。帰途に。

21時半くらいに妹宅に着。夕食・風呂。少しだけ暗記物を見て就寝。

と、こんな感じ。妹宅に泊り込むことで往復の交通費がだいぶ浮いた。また同時に、自習室も開室から閉室までしっかり活用できるようになり、密度はそのままに勉強時間を延ばすことができた。

1日に勉強する教科が多かったために自然と持ち歩く参考書・問題集の類もかなりの量になった。それらを持ち歩けるように大きなショルダーバッグまで買った。文章理解や資料解釈など最低限の解答解説があればいいものなどは、出かける前にコンビニで1週間分だけコピーし、数枚の紙にして持っていくなどできるだけモノを少なくしようとしていたが、それでも常時10冊程度はカバンに入れて持ち歩かざるを得なかった。特に月曜には4~5日分の荷物をボストンバッグに詰めてそのまま自習室にやってきていたので、周りから見て僕は相当不審に映ったことだろう。
具体的な勉強内容であるが、とにかく毎日続けていた一般知能系科目(文章理解・資料解釈・数的推理・判断推理)を午前中に。午後からは週替わりで専門科目を2~3科目ずつ(教養科目を1科目ぐらい混ぜたりもした)持っていき順番に仕上げることを目指した。
午後からの勉強は時間が長いわりに単調になりがちで、同じ科目を2時間も続けるなんて事は集中力の面からいってもたなかった。そのために大体1時間ずつで各科目の勉強をこまめに切り、変化をもたせるようにしたところ、長時間の勉強がだいぶ楽になった。とにかく1日に10時間以上勉強できるようになったのは後々非常に役立った。
個人的には自習室など教室っぽいところに入ると一番後ろの隅っこに座りたがるのだが、それでは自分の視界に入る人が多すぎ気が散ってしょうがない。そのためにあえて前の方の席近くに座るようにしていた。こうすれば自分の視界に他人がほとんど入らないため集中できるし、「勉強してなかったら後ろの人たちみんなが自分を見てる」と勝手に思い込んでみることで意外と強力な強制力となった。
 
心のうちでは年明けからいろんな思いが渦巻いていたが、下旬に松井秀喜『不動心』(新潮新書)を読み、その中から自分の支えとなる言葉を見つけることができた。このことは自身の公務員試験受験生活を振り返るにあたって忘れることのできない出来事となったし、まさにターニングポイントであったと思う。


●4月~5月(東京都1次試験前日まで)
 2007年4月は間違いなく僕が人生で最も勉強した時期であった。基本的に意地とか見栄を張るタイプなので、文字通り死ぬような計画を立てて実行しようと試みた。
3月の終わりからは妹宅での寝泊り生活を終えて実家での勉強生活に戻っていたが、それは1日に学習する科目が多くなったため物理的に教材の持ち運びが不可能になったからである。この頃は1日に10科目程度をこなしていた。具体的なスケジュールは…

6時頃起床

7:30頃から勉強開始。

昼食後は昼休憩をゆっくり目にとり、午後からリスタート

夕食を挟み23:00頃までやって入浴・就寝

という感じ(ただし、いつも23:00までやっていたとはとても言えない)。勉強時間は資格試験の勉強をしていた友人が言っていた通り、13時間以上勉強するのは極めて困難だと感じた。一番長くても12時間くらいが限界であったように思う。それでも今までこんな長い時間勉強したことはなかった。

 具体的な毎日の学習内容は、専門科目の法律系科目から2科目、行政系科目から2科目、ミクロ経済学とマクロ経済学は両方とも毎日新しい問題を5問ずつ(途中から10問ずつに)、それから毎日のセットにしていた一般知能系科目(文章理解・資料解釈・数的推理・判断推理)といった感じ。
4月に実行した計画は、3月中に何回か受けた模試の結果を受けてなかなか伸びない専門択一試験にてこを入れるための計画であった。本当は一般知識系の科目もうまく組み入れていきたかった(計画には入れていた)のだが、どうしても専門試験対策に力を入れてしまい手が回らなかったのが実情である。
しかし、この計画は結果的にはうまくいき、4月の終わりごろにはそれまで20/40点あたりをうろうろしていた専門択一は、35/40点を超えるようになった。教養択一は試験結果を見る限り大半の受験者が低得点であり、半分ちょっとをコンスタントにとっているだけの僕が全国で見てもかなり上位の方にいた。教養についてはあまりやっていなくてもみんな五十歩百歩だと思っていた。専門がかなり伸びたことで「これでようやく他の受験者に追いつけたかな」と思えた。
 一方で専門記述と教養論文の対策は遅々として進まず、結果的に最低限の対策しか取れなかった。特に本試験での試験時間が40分しかない専門記述についてはほとんど論点の暗記が追いつかず、結局用意した論点は行政学1科目10論点のみ。しかも、試験前日も就寝直前まで暗記に明け暮れる羽目になった。

 4月初旬にはなかなか行くふんぎりがつかなかったハローワークを初訪問。現時点での自分の社会的地位について否応なく思い知らされた。また、この時期に行ってしまったがために、都庁1次試験の直前に初回講習・初回認定に行かなければならなくなったのは非常に痛かった。

 この時期の印象的な出来事。
ある日、怠けたというか、思うように勉強できなかった日があり、そのことを相当気にしたまま就寝した。すると、夢に入れ替わり立ち代わり知り合いが現れ「なーんだ、意外に頑張ってないんだね」と口々に言われる夢をみたことがあった。相当怖い夢だったが、やっぱりプレッシャーがかかってるんだろうなあ…としみじみ感じた出来事であった。
また、この時期はとにかく一番イライラしていた時期で、解けない問題があると悔しくてペンとか問題集をぶん投げたり、部屋の襖をぶん殴ったり、ケリ入れたりしていた。切羽詰っていたのでまあしょうがなかった。ただ、家族に迷惑だけはかけないように密かに暴れるのは誰もいない日中だけにしていた(笑)。

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1-3.東京都職員Ⅰ類B採用試験1次試験実況中継(@明治大学和泉校舎 07/05/06)

当日はあいにくの雨。
宿は東横イン門前仲町に取り、東西線&都営新宿線(京王新線直通)を乗り継いで早めに到着。会場は駅前にもかかわらず前日の下見では迷っていたが、その甲斐あってかこの日は迷わず到着。今更あがくのも…とは思ったが、とりあえずやっといて損はなかろうとLECの「時事白書ダイジェスト講座」のテキストと自作の『覚えとくことノート』(どうしても忘れてしまいがちなことだけまとめて書いたノートを作っていた。いわゆる「イエロー本」のパクリ)を見直しながら待った。
こういう筆記試験の本番には強いはずなのだが、珍しく緊張してなんとなく気持ち悪くなった。ちなみに試験会場を見渡すと欠席者が多く、志願者だけでなく、実際の倍率も相当下がるんだろうなと思った。
 
●教養試験(五枝択一式 1時間50分)
時間配分は知識分野を20分、文章理解1題5分で×8題=40分、資料解釈1題5分で×4題=20分、余った時間を数的推理&判断推理につぎ込む。都庁の教養試験は地方上級より試験時間が40分ぐらい短いので余計に忙しい。しかもこれは結構難しいな、と感じた。終わった後もあまり手ごたえがなく、足切りにかかってなきゃいいけどな、と思っていた。

●専門試験Ⅰ(五枝択一式 1時間30分)
 専門択一の方はどう頑張っても解くのに1時間ちょっとしかかからないため、時間配分は特に気にせず。
問題自体も解き終えてあまり間違えた気がしないなぁ、と感じた。手も足も出なかったらどうしようと心配していた民法も正誤の判定はしっかりできた手ごたえがあったし、経済系の問題については基本中の基本みたいな問題ばかりのような気がした。
この時点であまり大きなことは言えなかったが、少なくとも8割は堅いんじゃなかろうかと思っていた。案の定、試験自体は早く終わったので終了20分前に途中退室し、外で次の時間の専門記述の最終確認(というかまだ暗記)をしていた。

●専門試験Ⅱ(記述式 40分)
 筆記試験で一番心配だったのがこの試験だ。
択一試験はある程度勉強してきているし、選択肢という手がかりもある。また、教養論文は最悪でも何も書けないなんてことはめったにないだろう。しかし、専門記述は違う。時間は40分しかないためその場で考えて書くなんてことはほとんど不可能。そもそも「○○とは何か。論ぜよ。」式の問題であるため、正確な知識が必要とされる。そのためには、論点や模範解答を丸暗記してくるしかないのだ。

 それなのに、僕はほとんど準備が出来ていなかった。最後の1週間くらいで必死に追い込み、前日も、今朝起きてすぐも、試験直前の時間にもテキストとにらめっこしていたがそれは「見直し作業」と呼べるようなものではなく、まだ「暗記中」の段階であった。通常の受験生がおおよそ3科目50~60論点ほど用意してくるのに対して、僕は1科目。しかも用意した論点は10個だけであった。当日僕の一番の心配は、この専門記述でヤマが完全に外れ失意のどん底で帰途に就くことだった。逆に言えば、専門記述をなんとか乗り切れれば結果もついてくるんじゃないか…そんな気分でいた。いずれにせよ、この専門記述試験でヤマが当たるかどうかで今後が決まる。試験直前、僕の緊張は極限に達していた。こんなにドキドキしたのは最近では記憶にないな、と思った。緊張しすぎて気分が悪くなった。

結果、僕のヤマは当たった。狭い守備範囲=「特別区の過去問」からバッチリ出題されたのである。
ただ、用意していた中でも一番うろ覚えのものが出た。人生ってほんとうまく出来てるな、と感謝大部分&泣き言少々くらいの気持ちで取り組んだ。しかし、とにかくなんとかなった。なんとかなってくれたのだった。ちなみに自己評価は惜しい感じ。最低限の論定は外してないとは思っていた。

※なお、専門記述で選択した科目は「行政学」(今年からの新科目)。問題は、「フリードリッヒとファイナーとの行政責任論争について説明せよ。」であった。

●論文(記述式 1時間50分)
 教養論文は出題2題中1題を選択解答する方式であった。今年の2題は下記の通り。

⑴東京をはじめ大都市のものづくり産業は、地域の特性に応じて中小企業の集積を形成しつつ発展してきました。しかし、近年の国際競争の激化、技術や技能を引き継ぐ人材の不足など、ものづくり産業を取り巻く環境は大きく変化しています。このような中、ものづくり産業の活性化を図るためにはどうすればよいか、あなたの考えを述べてください。

⑵近年、公共的サービスの質の向上のため、これまで行政が提供してきた公共的サービスの民営化や民間委託などが進められています。一方で、耐震偽装問題等、行政と民間の役割分担のあり方が改めて問われる事例もみられます。このような中、今後、行政はどのような役割を果たしていくべきか、あなたの考えを述べてください。

 どっちか書いたことのある論点なら良かったが、あいにく僕はどちらも初見。ものづくり産業について書くには都のものづくり産業振興政策について書けなければならない。しかし、僕は知らないからできない。無理に書いても勉強してきている人に大きな差をつけられることは容易に予想できる。それならば、誰が書いても同じになりそうな行政のあり方を扱おう、と考えた。
幸い、都庁の論文試験の問題文は長く、それを丁寧に読むだけでもある程度の方向性が見えてこなくはない。わざわざ耐震偽装問題というキーワードが出してあるということはそれに絡めて書け、ということだろう。「…耐震偽装の話ならたしかいつか何かのテキストでちょっと読んだような…」となんとか結び付け、とりあえず書いた。たとえ内容が稚拙でもなるべくきれいな字で、文章を平易に、筋は通して、1400字ぴったりくらい。誰かと全く同じ出来なら僕が勝つ、とそこだけは自信をもってちょっと早めに提出できた。自己評価はまあまあ。すばらしくはないけど普通には書けたのではなかろうか。

 兎にも角にも、筆記試験が途中で絶望せずに何とか終了。こういう時は案外いいことが起こったりするんだよなあ、と大学受験の時を思い出したりしながら帰途に。新宿にて何かとお世話になっている先輩と2人で飲み。とにかく教養択一が足きりにかかっていませんようにとそれだけが心配だった。受けてみて都庁の1次はかなりハードだと感じたが、「なんとか乗り切った」と言えれば通る試験なのかもなとも思った。

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